32 「障害児の母」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  32

32 「障害児の母」  

つい、極チビや黒の父親のような心境になって、障害児を持った親の心の記録をいくつか読んだ。人間とノラ猫を同じようにするな、と憤るむきもあるかもしれないが、ボクは地球の生物はみんな同じ祖先だという科学的事実を知って以来、だいたい同じように見るクセがついてしまった。

この種の手記や書物でしばしば引用されているのは読み人知らずのつぎの詩である。新聞に「障害児の母」という匿名で投稿されたものだという。以来、多くの親たちを慰謝し励まし、いまなお語り継がれているのだろう。

私の子供に生まれてくれてありがとう
私の子供に生まれてくれてありがとう
あなたが私の子供でなかったら
石を投げられた者の
痛みの深さも知らなかったでしょう
障害の重い人たちが
天使の心をもつことも
知らなかったでしょう
本当の愛も思いやりも
富める人の貧しい心も
貧しい人の豊かな心も
あなたが私の子供でなかったら
知らずに過ごしたはずでした
私の子供に生まれてくれてありがとう


 この詩を読むとボクはまず、美形で才媛で金持ちでエゴで驕慢で虚飾に膨れ上がった若い母親を想像する。母親は有頂天になり、わが子をもっとも美しく、もっとも学力優秀に、そのためにはいくらでもお金を注いで…、とおもったに違いないのだ。やがてわが子の障害がそんな虚飾をひとつずつ剥いでいく。何千回、何万回の涙が一滴ずつ驕慢をすり減らし、練磨し、いくつかの歳月をかけてこんなすてきな人間の心に変えていったのでありましたーーー。この感動的な詩の背後にふとそんなドラマを妄想してしまうのである。

 母の愛人のことで以前お世話になった神戸アドベンチスト病院の山形謙二院長は自著「隠されたる神」(キリスト新聞社刊)を先日贈ってくださった。題名のサブタイトルは「苦難の意味」となっている。キリスト教が2000年以上も人々の信頼と共感を得てきた大きな要素のひとつは、栄光のメシア、でなく「苦難のメシア」を主人公に、苦難の意味を問う姿勢にあったのだろう。
 
 この本の中で山形さんは先天性無痛覚症という珍しい病気に触れている。痛みの感覚がないため、熱いストーブに足を置いて大やけどをしたり、凍傷を負ってもわからない。感染しても気付かず,骨髄炎、膿瘍をくりかえし、舌を何度も噛み切ったりする。この病気の人たちは共通して自己中心的で冷淡という報告がある。痛みを知らない人は他人の痛みを知ることができない。痛みは健康な生活、生命維持のためにも、そして人格形成の上でも極めて重要だという。
 
 ここから山形さんは「人は苦しむことを通じて初めて人らしくなる」という結論を導くのだ。
 もうひとつ。ユダヤ教神学者ロバート・ゴルティスの言葉を引用している。
「苦しんだことがない人々というものがどんなに我慢のならないものかは、人生があらゆる仕方で教えてくれる。挫折と悲哀こそ、人間がその兄弟たちと共感し交わるためのパスポートである」

レベルは落ちるが、ボクもまたノラたちと付き合うことで、自然や他人や、もろもろの生き物に少しはやさしい気持ちを抱けるようになったとおもう。