30  極チビよ、今生のお別れです

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  30

30  極チビよ、今生のお別れです

 極(ごく)チビの治療は終わった。ついては、カレを引き取るか、施設に入れるか、の問題だ。
 施設はKさんの知人が私財を投じて神戸の奥につくったもので、信頼している人の持ち込みでないと受け入れない。Kさんは「自分が頼めばたぶんOKだろう」という。入園料3万円であとは死ぬまで飼育してくれる。暖房装置もある。エイズの猫だってけっこう長生きしていますよ、とKさんは電話ですすめてくれた。
 虚弱なうえに、大きな怪我を負った子猫を住宅街で育てる自信はボクにはない。怖がって逃げ回る極チビに人目を忍びながらの餌やりは思い出すだけでもぞっとする。雨の夜は溝の奥は洪水状態になる。氷雨の中を逃げ惑いながら鳴き散らして極チビをおもい出すとつらい。
 
 一方で、最後にだまし討ちのようになったのはどうしてもひっかかる。カレはとうとうあの夜、ボクの餌を食べていないのだ。今生の別れに例えば次のようなシーンをいま一度再現できないものかーーー。
 極チビをもうあの付近にもう一度放す。うろうろしているカレはボクをみつけると、一目散に安住の地・溝の奥をめざす。ボクと妻は近所の目を気にしながら一緒に走る。カレはすばやく溝の奥へ逃げ込み、あの甘えたサインを送ってくる。ボクが餌をやるとき、小さく「フー!」と以前のように唸って、じゅうぶんに食べて欲しい。それから改めて捕獲して施設へ。
 Kさんに冗談じみてそういうと、「わかる、わかります」といったあと、「でも捕獲に失敗したらもっとたいへんでしょ、それに、次回も最後はだまし討ちになるでしょ」といわれた。なるほどそのとおりだ。Kさんはダメ押しのように「極チビもいつまでもノラのままだとしんどいとおもうの。施設は遊び場もあるし。それにいつでも会いにいったらいいのですよ」といった。

 即答を避けて、ボクはぼんやり道を歩きながら思案した。施設でもきっと弱虫の虚弱児は餌の取り合いに負けるだろう。ボクのように自分だけに餌を用意してくれるような係はいないだろう。当分はつらい目にあうに違いない。けれど、2週間もすると、会いに行ってもボクのことは思い出せないだろう。宇宙のもろもろはみんな同じように無常なのだ。あのときの溝の奥の鳴き声はあの一瞬で永遠に終わり。それでいいじゃないか。

 老人性感傷症候群はキリがないぞ。いい加減にしろ。若いころ、多くの女性に数々の不義理や無残や冷酷の爪跡を残しておきながら、何をいまさら。善人ぶるな! 保護者面するな! 
自分を叱り、極チビに別れを告げた。

 氷雨がやんだので、いつもより遅い時刻にローソンにいった。寒々として人影がない。2匹も見当たらない。通り過ぎようとして橋の下を覗くと、川原の草むらの陰に黒がいる。そばに飼い猫らしいのもいる。遊んでいたのだろう。黒はボクに気付いて鳴きながら高さ3メートルはある橋脚に飛び上った。そばのコンクリート台に餌を投げると、むしゃぶりついた。満腹そうにおっとりした飼い猫と対象的で、せつなかった。猫には、差別とか格差、不公平の意識はないのだろうけど。
 白はいなかった。餌を探しに出ているのだろうか。

 黒よ、肝臓は大丈夫か。明日からは今冬一番の冷え込みにはいるとテレビでいっていた。よく食って体を温めてくれよ。そして、今日の労苦は今日でたれり。今日がよければ、もう明日のことは考えるな。あさってのことも、一生のことも、みんな夢なり。な、黒よ。