28  虚弱児――極チビ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  28

28  虚弱児――極チビ

子猫の捕獲に失敗した翌日、夕食の直前になってエミさんから電話だ。「今夜再びやります。今度はきのうとちがってベテラン中のベテランがいきます」。
昨日に続く今日はちょっとしんどかったが、先送りしても事態は何も変わらない。予定時刻の八時にローソンにいくと、広場にすでにいくつか籠がしかけてある。白猫がまわりをうろついている。エミさんと若い大柄な女性が近くで談笑している。ボクをみると女性は気さくに話しかけてきた。「籠に入るのだけど、餌だけとる。賢いですわぁ」。黒猫のほうはちらと姿を見せたが、すぐに消えたという。昨夜のショックが残っているのだろう。
今夜もだめかとがっかりしかけたが、女性は「場所を変えましょう」といい、ローソンの中にはいっていった。「動物福祉協会」の名刺をわたし、店の奥の路地に籠を置かしてほしいと頼んだ。人のよさそうなおばさん店員は「私は猫が好きで、でも、保健所がうるさいので餌をやらないで、とお願いしているのに、この間も煮魚をどーんと捨てるようにおいているお客さんがいて」といいながら案内してくれた。
女性はKといい、ライトバンに捕獲籠を10種類近くそろえていた。頼まれてあちこちに出かけているという。「籠を代えてみましょう」といい、新しい籠に餌は温めた鳥のから揚げをつけた。においが強くて効果があるそうだ。けもの道のような路地に籠を3つ置いて、ボクたちは駐車場で待った。15分ほどしてKさんがみにいったが、「2匹ともはいりました」と戻ってきた。
「すごいですね!」
ボクは感嘆した。Kさんは「ははは」と男のように笑って、「もう1匹いましたね」と催促するように言った。
極チビの身の上や、臆病なこと、ボクにしか反応しないことなどを簡単に説明した。
「カレを裏切るようで…。ボク抜きでなんとかできませんか」
「そういう子はむつかしいんですよ。裏切るんでなく、助けるんですから。あとは猫の神様にお任せして,さあ、いきましょう」
不妊手術のあと、施設にいれる手も考えてみてはといってくれた。

いつもより遅い時刻だ。ボクの足音を聞きつけた極チビは溝の奥から鳴きだした。Kさんは籠を溝のそばの路上において「ここでこうやってちぎって、籠へ落とすようにしてください」と鳥のから揚げをボクに渡すと、妻と2人とも姿を消した。ボクだけのほうが極チビは安心するだろうというわけだ。しかし、極チビは溝の奥で必死に催促を続けるばかり。出てきそうな気配はまったくない。
たまりかねて、ボクはその場を離れた。5メートルほどして振り返ると、極ちびが溝の奥から出てきてついてくる。傍らの籠には見向きもしない。「極チビよ、一度は籠に入ったほうがお前の幸福なのだよ」
ボクが戻ると、極チビも溝の奥へはいる。かわいい、いじらしい。ボクには子供はいないが、身体障害の子供を持つ親の心境がしのばれた。
 
 スタートしてから3時間近い。ベテランのKさんがいてもこれならもう絶望だ。Kさんは何度もやってきて、「ご主人、声を出して呼んでみてください」といらだったようにいうが、効き目のあるはずがない。ボクはいつも犯罪人のようにこそこそとまわりの様子をうかがいながらさっと餌を投げいれて立ち去っているだけなのだ。極チビだってぼつぼつ根気の限界だろう。本日の餌を断念して姿をくらます心配も出てきた。もし、だめなら、こいつをノラのまま生涯面倒をみようとボクは決心しかけていた。
 Kさんが携帯電話をかけた。知り合いの獣医の夫妻に相談している。どうやら夫妻が応援に来てくれるらしい。それまで極チビを溝の奥に封じ込めておく必要がある。溝の奥は別の溝の出口に通じている。両方の出口を布をまるめて塞ぎ、Kさんと妻がそれぞれ足でチェックすることになった。師走の寒風に吹きさらされながら2人の女性は溝に立っている。ボクは小学校の裏門に腰掛けて極チビの声を聴いていたが、いつしかそれも聞こえなくなった。
 1時間近くたったころ、隣の兵庫県下から獣医の夫妻がかけつけてくれた。

 獣医夫妻は各種の網や、溝用のワナなども持参してきてくれた。布の塞ぎをとり、網をとりつけた。しばらくすると、極チビは動いて、いつもと反対側の出口に寄ってきたらしいが、また戻ってしまい、再び膠着状態になった。さらに1時間がすぎた。獣医は今度は、一方の出口は網にして、溝の奥に細い籠をできるだけ深く差し込んで揺すったりざわつかせた。極チビを驚かせる戦法で、30分後、極チビは網に逃げ込んだ。極チビは暴れず、鳴かず。薄明かりの街灯で顔はわからなかったが、身体は存外大きくなっていた。

「よかった、よかった」女性たちは手を叩いて喜んだ。洪水に取り残されていた赤ちゃんを無事に救出したような雰囲気だ。3匹は獣医夫妻らとともに車で去った。ボクは重荷を降ろしたようで最近にない安堵感を味わった。同時にどこか一抹の寂しさで力が抜けた。