14 とっておきの人・北森嘉蔵牧師

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 14

14 とっておきの人・北森嘉蔵牧師

具体的にあんちゃんの死をクリスチャンのみなさんはどう受け止めるのだろうか。じつはあんちゃんの死んだ夜、私は知り合いの若い女性クリスチャンと以下のようなメールのやりとりをした。

<餌をやっていたノラの一匹が車にひかれて死体になっているのに遭遇しました。彼にまつわる思い出を今度聞いてください。
 ノラの死はこの世の苦難から解放されたということでもあり、むしろ祝福すべきなのでしょうか。けれど、もう会えない、餌を喜ぶ声を聴けないのが寂しくて悲しい。人間との別れも同じですね。彼との付き合いの記録を残しておきたい気持ちです。>

<悲しい別れでしたね。彼の物語を聞かせてください。小雪のちらつく日にそんな経験をされて、辛かったことでしょう。心の痛みを和らげる為にも、彼の物語を書いて下さい>

 文面は優しかった。しかし、ホンネはどうなのだろう。たかがノラ一匹で、とわれながらへんな気分だが、八つ当たり的に彼女に電話した。
キリスト教は自分のペットは猫かわいがりしてもノラ猫なんかに冷淡なのと違う?」
「さあ、私はペットを飼っていないから。動物のことはくわしくないわ。創世記に記述されているのでしょうけど、でも動物のいのちを粗末にしていいなんて書いてあるとは思えない…」
聡明でやや頑固なクリスチャンだが、どうも歯切れが悪い。

じつは私にはキリスト教でとっておきの人がいる。もう亡くなったが北森嘉蔵という牧師さんだ。ずいぶん前、朝日カルチャーセンターでなにげなくこの人の連続講義「聖書と人生」を聴講した。中身はほとんど忘れたが、ふたつだけ覚えている。
ひとつは「ふだんは宗教なんかの出番はありません。できればそんなもののお世話にならずに一生を過ごしたいものです。けれどね、みなさん、そうは問屋がおろさない。人生にはタライをひっくりかえしたような、フロ桶の底が抜けるような一大事が必ず起こるのですよ。そのとき、はじめて宗教が必要になる!」そんな趣旨の語り口だった。
お説教にしてはもっともらしいところがなく、大胆でわかりやすく、歯切れのいい表現が印象に残った。

もうひとつは、W・ジェイムス著「宗教的経験の諸相」が名著であると紹介してくれたこと。さっそく岩波文庫の上下2冊を読み、それは私が宗教に近付く第1歩となった。
その後、この牧師さんは「神の痛みの神学」という著書で世界的に有名な神学者だと知った。痛快な筋運びと巧みな文章で、一般向けの啓蒙書やエッセイ類も多い。夢中で読み漁った時期がある。ぜひ北森牧師の動物観を知りたい。書店で北森牧師の書いた「創世記講話」(教文館)を探し出した。