10 もうごはんを探さなくてもいい

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 10

10 もう、ごはんを探して歩かなくてもいい…


 妻は夕食の仕度をしていた。アンコウ鍋らしい。「かなしいことがあった」と前置きして、私は早口に、あんちゃんの事故死を伝えた。妻の目や鼻のあたりがすぐに赤く緩み、「もういわんといて」といった。私は何か言葉を続けようとしたが、妻は「もうやめて、ご飯が食べられなくなる」と強く言ったのでやめた。私は食欲がなかったが、焼酎を湯割りにしてぐいぐいやりながら、妻の気を害さないように、ぽつぽつ断片的に報告し、「あんちゃんも死んだほうが幸せなんだとおもうようにしよう」と慰めた。妻は「そうよね。今晩からもう寒い中をあちこちごはんを探して歩く必要がない…」と目頭を押さえた。

「死んでまもなくだったと思うよ。まだ生きているような顔をしていた」と私がいうと、妻は「ひょっとしたら、まだ生きていたのでは。脳震盪かなにかで」「もう一度みてこようか」と私は立ち上がりかけた。「もうやめとき、同じことだわ…いまさら助からない」

私もあまりのめりこむのはやめようとおもった。夢に出てくるかもしれない。いや、それに確かに死んでいた。死んでいないにしても、ぐったりとして目も動いていなかった。車が頭の上を通ってもじっとしていた。血が路面に広がっていた。ダメに決まっている。それにーーノラ猫を安楽死させるいちばんいい方法は、餌に眠り薬をいれて凍死させることだ、と聞いたことがある。それが猫のいちばん楽で自然な旅立ちになるという。もし、あんちゃんが生きていても、もはや意識不明で痛みはあるまい。路上で1晩すごすと明日は確実に凍死しているだろう。いちばん楽で自然な死に方をするのだ。もうご飯探しの心配をすることもなく、安らかに天国で遊び回ることができるのだ、最高にラッキーじゃないか、あんちゃん!

  夕食後、私も妻も餌やりのことは黙っていた。夜おそくなって妻が「つらいけど、いこう」といった。最近はノラたちが私たちの姿をみると、花盗人付近から国道に飛び出してくるので、遠回りして逆コースでいくようにしていた。花盗人にはあんちゃんはいなくても、三毛とチビが待っているだろう。ひょっとしたらあの死骸は自分の知らない、どこか別のネコかもしれない、そうあってほしい、と願う気持ちがあった。ノラだって飼いネコだって人間だって命の尊さは同じ、とふだんえらそうなことをいっているくせに、私も勝手なものだ。勝手といえば、あのとき死骸を放置したまま私は帰ってきた。だれかがなんとかするだろう、と自分に言い聞かせて。生きているあんちゃんはいいが、死体はどうあつかっていいのか、触るのがこわかった、正直に言うと、気味悪かったのだ。

少し離れたところから国道の事故現場をみた。ヘッドライトにはなにも浮かんでいない。なにごともなかったように車が走っている。当然のことだ。ネコ1匹で影響があるはずがないじゃないかとわれながらばかばかしかった。花盗人へ。ひょっとして、あのトリオがなにごともなかったように集結してくるのでないか。あんちゃんはいつものように豪放磊落に派手な身振りで鳴きまくるのでないか。――すぐに三毛とチビがきた。けれど、あんちゃんはこない。やはりあの死骸だったのだ。